この映画はこんな人におすすめ
実際に起きた事件を題材にしたミステリーが、人間の執念と業に変わる瞬間を観たい人
『殺人の追憶』の作品情報(監督・キャスト・あらすじ)
日本の公開日 | 2004年3月27日 |
監督 | ボン・ジュノ |
脚本 | ボン・ジュノ シム・ソンボ |
キャスト | ソン・ガンホ キム・サンギョン パク・ヘイル キム・レハ ソン・ジェホ |
音楽 | 岩代太郎 |
あらすじ
1986年の韓国が舞台です。
首都ソウルから離れた、のどかな田園風景が広がった農村で殺人事件が起こります。
地元の刑事パク(ソン・ガンホ)は雑で暴力的なやり方で捜査をしていきます。
そこにソウル市警から赴任してきた若手刑事で理性的なソ(キム・サンギョン)が捜査に加わります。
足を使って捜査をするパクと頭を使うソ。二人の捜査の仕方は対称的です。
二人の捜査をよそに、小さな農村の狭い範囲にも関わらず被害者はどんどん増えて行き犯人は捕まりません。
焦りを覚え始める警察たちですが、パクたちはついに有力な容疑者を見つけます。
しかし、そこから事件は本当の歴史的な事件の始まりとなるのです。
「この映画のここが面白い!」(ネタバレなし)
「顔のない犯人に、この怒りと悲しみはどこにぶつけたらいいのだろう」
この映画は1986年から1991年に実際に起きた華城連続殺人事件を題材にしています。
当時、軍事化政権下におかれていた、韓国史上最初の連続殺人事件で十人の女性たちが殺害されました。
それを新たにフィクションとして再構築されて作られたのがこの映画です。
実際に起きた事件を題材として作られた映画はよくあります。
ですが、この映画ほど、犯人に強い怒りを持たせ、観客を引き込む映画はほとんどありません。
それはどうしてか。
犯人を必ず捕まえたい、犯人への怒り。これは映画から現実の世界へと本当に訴えかけているからです。
ラストに残された強烈なメッセージには、観た私たちに言い表せない大きな感情を沸き起こさせます。
ネタバレ解説&考察
「映画を通して、本当に犯人を捕まえようとした」
こう考えてこの映画を観るとより一層面白くなると思います。これは最後に説明します。
冒頭のシーンで、パクが一人目の犠牲者を見に来た時、稲穂に止まっているバッタを捕らえる少年がいます。
少年は瓶の中にバッタを閉じ込めており、自分の言葉は喋らずに皆の声をオウム返しで喋るだけです。
ここで、この映画の事件の伏線と当時の韓国の時代が表されています。
主人公のパクやチョは暴力的な取り調べをしています。
暴力をふるい、証拠をねつ造していきます。これは、当時の韓国の国家権力を表しています。
死体に群がる村民を制御できないのも、痕跡をトラクターで踏みつぶされてしまうのも雑な捜査です。
ここはコメディのように描かれていますが、これは軍事政権下だったため、警察が不足していたのです。
死体の後に肉料理が出てきたり、股間がつんつるてんという話のあとに銭湯のシーンになったりします。
捜査に行き詰ったパクが、占い師に会いに行ったりするのも全て監督のユーモアです。
所々にユーモアを入れることで、観客にほっと一息つけさせる時間を与える演出は上手いです。
古い時代と新しい時代の象徴の二人
暴力的なパクと理性的なソ。
物語が進んで行くにつれて、二人の刑事は微妙に少しずつ自分を見失って行きます。
暴力的なパクがどんどん自信をなくしていきますし、理性的なソは暴力的になっていきます。
パクは自分の目には自信があると言っていましたが、最後には自分にはもうわからないと言います。
ソは、暴力的な取り調べを冷ややかな目で見ていたのが最後には激情にかられて暴力をふるいます。
時代も何も関係なく、犯人を捕まえたいという思いが交差していく役者の演技力と演出は素晴らしいです。
トンネル前でパクがヒョンギュの目を見て「俺にはもうわからない」というセリフは伏線となっています。
そして、このトンネルという場所も伏線です。
警察官を辞めてセールスマンになったパクは仕事の途中で事件のあった農村に赴きます。
そこでのパクと、少女の会話も伏線になっています。
伏線の解説
冒頭の少年がバッタを捕まえて瓶に閉じ込めているのと、人の言葉をオウム返しで喋ることは何か?
まず、バッタを捕まえるのは、誰もが犠牲者になることを表しています。
最初の犠牲者の身体を見せるときにバッタが乗っかっているのがそれを決定的にさせます。
捕りたい、という欲望を、無垢な少年にさせているその演出に恐怖を覚えます。
そして、瓶に閉じ込めていることと、オウム返しで喋るということは、軍事政権下を表しています。
言うことに従え、みんな同じ生き方をしろ、ということです。
警察署内で、妹を強姦しようとした男と、それを阻止した妹の兄が並んで書類を書いているシーンがあります。
どちらが、犯人で、どちらが兄かわかりませんし、答えもださないままシーンは終わります。
これは、犯人は顔ではわからないということです。第三者には、犯人は見えないということです。
この小さな伏線が未解決事件になるということをここで既に示唆しています。
『殺人の追憶』のラスト 結末の意味
終盤のトンネルの前で、パクが「俺にはもうわからない」というセリフは二つの意味が込められています。
パクが完全に自信を無くして警察官を辞めることと、犯人が見つからない=顔がない という意味です。
ヒョンギュが暗闇のトンネルの中に入って行くのは事件が迷宮入りになったことを表します。
そして、顔がないということはどういうことか。それが少女との最後の会話です。
パクは少女にどんな顔だったかと聞くとどこにでもいる普通の顔だと答えます。
普通の顔、見えない犯人の顔、顔のない犯人と考察することができます。
つまり、犯人は身近にいて、誰にでも犠牲者になる可能性はあるのだということです。
【映画の豆知識】
映画の豆知識について
物語のラストでパクは出てきますが、一方のソは出てきません。
警察を辞めたのか、それともまだ現役でいるのか不明です。
監督は、実はソは犯人を逮捕出来なかったことに絶望して自殺をしたという案を考えていました。
ですが、それはこの映画にはふさわしくないということで却下されました。
あのシーンの意味
ラストショットで、アップで映し出されたパクは、無言で力強いカメラ目線を向けます。
その目線はこの映画のキャッチコピーと同じ意味が込められています。
「おまえは、いまどこにいる」と。
この映画は2003年に公開されたものです。
実際の事件は時効までまだ時間があり、犯人が捕まえられる可能性があったのです。
最初の事件の場所で 「自首しなければお前は地獄行きだ」と書かれた赤い服を着たかかしがいます。
これに映画の全てが込められています。
監督や役者たちは映画を通して犯人に強烈なメッセージを残したのです。
映画を通して本当に捕まえようとしたのです。
しかし、映画が公開された3年後の2006年にこの事件は時効になりました。未解決なまま迷宮入りしました。
その後、パクのモデルになった本物の刑事は、退職前に辞めました。退職まであと数か月でした。
しかも、退職金も貰わずにです。モデルになった本物の刑事はこの事件の責任をとったのです。
この事件、そして映画が如何に犯人に対しての執念と業が込められているのかがわかります。
当映画が好きな方へのおススメ
「オールドボーイ」 パク・チャヌク監督
「哭声/コクソン」ナ・ホンジン監督
「母なる証明」 ポン・ジュノ監督
「パラサイト 半地下の家族」 ポン・ジュノ監督
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※配信情報は2020年3月時点のものです。現在の配信状況は各公式サイトをご確認ください。○=見放題視聴 △=課金視聴 ×=なし